■ 日本独自の美意識
日本語のもっとも古い色彩後は「白、黒、赤、青」の4つだけと言われている。この4つの言葉は、もともと光の表現だったと考えられている。
明-アカシ(明かし) →アカ(赤)
暗-クラシ(暗し) →クロ(黒)
濃-シロシ(顕し) →シロ(白)
淡-アワシ(漠し) →アヲ(青)
■ 日本の色-侘び寂びと混色、草木染
日本の色の特徴は混色の結果生み出される灰みのある渋さを感じさせる色や、江戸時代の庶民の色に代表される茶色、灰色に見られる「しぶさ、さび」のグレイッシュトーンがある。
もう一つは、上層階級の着物や、能衣装の絹織物に見られる鮮やかなストロングトーンの「華麗」な色合いがある。
日本の伝統的な色名には、染色の名前、植物の名前が多いとこも特徴。
■ 7世紀-中国からの模倣と位色(位階色)
日本では、色と制服を結びつけた考え方が古くからある。これは中国の陰陽五行説の「五色」に基づくものである。日本の五色は、紫が加わり、青が緑に変わり、儒教の五教(仁、義、礼、智、信)に徳が加わった道徳と結びつき、推古天皇の時代の603年に、服制色が用いられて位色(位階色)となる。
徳 → 仁 → 礼 → 信 → 義 → 智
紫 緑 赤 黄 白 黒
■ 平安時代の色-王朝文化と襲の色目
平安貴族の暮らす寝殿造りの建物は、寒暖差が大きい京都の冬には適してはいなかった。そこで暖かくすごすために着物を重ねる襲装束が生まれる。襲装束は20枚にも及んでいたが、後に十二単となり、鎌倉時代にはさらに簡素化する。襲の際に着物の上と下、あるいは表と裏に襲の色目という配色が使われていた。襲の色目は着る季節が決められているほか、年齢や行事の決まりごともあった。
■ 江戸時代の色-町民文化
四十八茶百鼠
江戸時代には「奢侈禁止令」が出され、庶民の衣服は茶や灰色など地味な色が中心となった。許された色味の中で微妙な色の変化を楽しもうとし、茶色と灰色のバリエーションが数多く生まれた。
■ 明治以降
開国とともにヨーロッパから人工合成染料が入ってくるようになり、色鮮やかでハイカラな流行色が生まれた。合成染料による鮮やかなセルリアンブルーは新橋界隈の芸者衆に好まれ、新橋色といわれ流行していた。